安田章大『9』が大好きって話。

タイトル通りです。
考察?推察?わからんけどとりあえず『9』が、安田くんが大好きって話です。

前置きとか後書きとか、わたしの語彙力では役足らずなのでいきなりいきます。

箇条書きにしてたのを無理矢理文章にしたのと、ブログのおしゃんな装飾?的なのもよーわからんので拙い読みづらい語彙力不足の三拍子ですが、私の覚書程度に受け取っていただけたら幸いです。

上手くまとめられずだらだらとやたら長くなりそうですが、即ち、やすだくんBIG LOVE!!!!!(結論)

では!!!!!!




『9』を初聴き。

🎵(スーーーハーーー )君と


で一時停止しました。

"え?(宇宙猫)"状態。

呼吸を整えて再生。

曲が進むに連れて
「安田さん!やりおった!!!!!!!これが安!田!章!大!!!!!!(拳を突き上げる絵文字)」と興奮したわけです。
今までのソロ曲からして、勝手にアコギ語り系かと思ってたのでまさかまさかのジャンル。『9』はジャンル分け不可能とう感じだけれど、今までのソロ曲とは明らかにテイストが違う。
安田章大くん、とんでもねぇ男だと知っていたはずなのに。不徳の致すところ。

関ジャニ∞の」という冠は少なからずあるだろうが、今、ここでソロ曲としてリリースする「安田章大安田章大を表す曲」なんてなおたまりません。

16分音符の不規則的な羅列がなんとも安田くんらしい。
歌詞も含め、1回聴いただけじゃ歌えない。
冒頭も「君と一直線その部屋へ」だと思った。
だってまさか「左脳」なんて歌詞に出てくるとは思わないよ。

BONのAメロもだけど、
途中で拍を見失いそうになるし、
そこで8分音符挟むん?
そこでタイ?
強弱起行方不明!!!!
耳コピ大変そうなのきた〜!!!!!!!
安田くんのリズム感、センス、どうなってんの?
は〜〜〜〜!!!!!好き!!!!!!
(「安田くん好き!」は呼吸)

あと、とても似てるとかではないんだけど、BONと共に、女王蜂『催眠術』を思い出しました。
今では『9』聴くと『催眠術』を、『催眠術』を聴くと『9』を聴きたくなるんですよね、何故か。
女王蜂もすきなの。(呼吸)

とりあえず、

最初から色々とあれこれ思ったわけなんですが、続いて歌詞カード見ながら聴くとスタートから特大違和感。

君と一直線 左脳部屋へ
後戻りできないね

一般的に、

右脳:感覚的芸術的
左脳:文学的倫理的科学

と言われていて
彼の感覚からすると、一直線に向かいそうなのは右脳部屋では???????

「テーマは人間の普遍性」という前情報のみで聴いたので尚更??????。

その後、8BEATオーラス配信のソロについて、人間の多重性を表してると聞けて、色々と(私なりの)解釈が深まりました。

それでも頭っからわからねぇ!!!!!
左脳的感覚で受け入れた場合、即ちそれは知性的倫理的科学的に理解しているということであり、もう後戻りできない(受け入れるほかない)ということ?
そもそも「君」って誰やねん。
聞き手?それとも自身の中の別の人格?
安田くんおしえて!!!!!!!!!(最後までいけるかな)

この「後戻りできないね」もだけど、安田くんの詞って、前後どちらの詞にかかってくるのかわからない、どっちにも取れるっていう詞があって、尚更「安田くん教えて!!!!!」ってなるんよね。
安田くん!!!!!
だいすき!!!!!!(呼吸です)

すでに私の左脳右脳両人が悲鳴をあげています、、、

 

夜は騙し “I” 走り去る
止まるべきじゃないね
拒否する権利ない
紫のアネモネ 生ける選択しかない
甘い魔界の音色で
Let’s go

安田くん、「人には4つ以上の側面がある」「日によって気持ちもテンションも違う」「でも全部自分」と言っていた。(ニュアンス)

分かり易くするために、

私全体を"I"、
その中のいろんな人格・側面をそれぞれ"i"

とすると(分かりやすいか?)
"i"が我こそはと主張し合い、
"i①"が"i②"を騙し合い、
いろんな"i"が"I"すら騙そうとしてる。

「ほんとの自分ってなんなんだろう」みたいな。
夜ってそんなこと考えがちだし、考え始めると終わりがなくて。逃げるように、いや、逃げきれずに寝落ちちゃったり。

そのあと魔界だのなんだのちょっと恐ろしげだし「拒否する権利すらない」って強めの言い方だけど、どの側面もほんとの君で、そんな君だから君だよ、という安田くんの優しさや生き方が見える。

確かに、「私のこの側面いりません!ぽいっ!」なんてできないしね。
そりゃできるなら私だって、すぐ大の字でやすだくん浴びに行っちゃう癖とか、すぐ「安田くん、、、!!!!」って発作起こしちゃう癖とかなんとかしたいけど
でもそれも含めて私だからしょうがない。(ちょっと違う)

 

しかし、安田くん、
甘い魔界の音色を聴きながら左脳部屋へ行くんですか?
左脳で解釈することって、魔界のようだってこと?
特大解釈で、「あまり難しく考えずにもっと感覚的に受け入れたらいいよ」ってこと?
でも「魔界の音色」と言っている割には、裏で鳴っている音が街角の洋食屋さんのドアベルみたいな高い軽い音なんですよね。

と様々に巡らせているけれど、安田くんの意図した答えには辿り着かないわけで。
でも曲全体の中で、この冒頭部分の歌詞が1番彼の脳内の片鱗に触れたような気がしたパート。

メイキングでも仰ってましたが、彼自身での多重録音に始まり、心音やベル音や、本当にサウンド山盛り。
これもBONを思い出したポイント。
たしかに、『9』の衝撃は凄かったんだけど、彼のこの感性はずっと変わってないんだな、と。

「Ready?」から始まるセリフパートの裏で聴こえる「ah〜ah ah ah ah」、その後の「しとどの〜」のところでも裏で鳴ってたり。
全体を通して、色んな人格や感情が蠢く脳内の様子が不規則的な様々な音で現されているのかな、と。

「紫のアネモネ花言葉は「あなたを信じて待つ」(諸説あり)
あなたって誰?
"I"なのか"i"なのかはたまた別の何か?
今のとこどれもしっくりこなくてもやもや。

 

Ready?
Hey, Take it easy
難しいことなんてない
僕に身委ねるだけ
Don’t worry
Hey, It’s so easy

ここはもう解釈とかではなく、この『9』という楽曲でどこに誘なわれてしまうんだろうという期待で全力ゼーハー。
ここまでの出だし聴いてたら「やすだくん!!!!身を委ねます!!!!!」ってなっちゃう。どこへでも連れてって!!!!!!!

 

心のVeil脱がすTiming
僕のPaceでジラすとBlazing
しとどになった奇妙な柄
ワガママかな、、
割かれたいアツイ花芯
いつになく
求め視つめ合う 弄り慰め 蕩け合う
I won’t be dead
包み隠さず まだ離さない
湿る吐息 煩悩の性 本能の罠 I wanna

ここから、ワードチョイスが一気に変わる。
The 安田章大
何も知らなかったらただのどエロい歌です。(言い方)
JAM LADYを彷彿とさせるようなまさにアレな歌詞。(JAM LADYも裏テーマがあると仰っていてとても気になるのだけれど、公言されることはなさそうよね、それでいいんだけど。気になるけど。それでいいんだけど。)

歌詞カード読んだ時に「湿る吐息」なんて歌詞あったかな?と思ったけど、なるほど、そんな表記をするんですね。

冒頭の「騙し"I"」にも通ずるけど、結局どんな自分も自分なんですよね。
人をカテゴライズするなんて難しくて、というか無理で、性別でもなんでも人間が作った便宜上のモノってだけで。
オーラス配信では4色で人格を表しているように見えたけど、それらが単体で表れてくることはなくて。日や場面によって青が強かったり赤が強かったり、その4色から成る無限の色合いがあるもんじゃない?って。

自分で自分がわからなくって逃げ出したくなったりもするけど、
乾湿どちらでもない
幾何学模様でもない
一つに閉じこもりたくない
何かに勝手に凝り固められた"I"をぶち壊して無数の"i"を解き放ちたい
勝手に凝り固めてるのは他でなもない"I"なんじゃない?

そんな人間としての本来のあり方や欲を、これまた生命として普遍的な欲に掛けて表したのかな、などと。

 

愛で撫で奏で Loop Sound Lips搦めた
茹だり夢中宇宙で腐り掠り霞み愛たい
艶やかMarble 散々させ描き混ぜては
席巻しようか A world of four or more
透明な身体で

前パートもですが、ワードチョイスが安田ワールド全開サビパート。
ちょっと難しい表記や韻の踏み方などなど

「A world 〜」については過去にTwitterに書いた。

ここ、ほんとにずっと謎で。
文法的に考えてもちょっと意味がわからない。
いや、意味はわかるけどなんか違和感。
複数なの?単数なの?
「Four worlds」じゃなくて?

そもそも「4つもしくはそれ以上の世界」ってなに?
4つから成る一つの世界ってこと?
どこ??????
神話や宗教にそういう思想があったりするのかと調べまくったんだけど、これといったのは見つからず。

ここもオーラス配信の時にようやく(私なりに)腹落ちして、言葉まとまらぬままついったに書いたわけなんだけど、

「A world (composed) of four and more」
ってことだったのかと。
 ※compose = 構成する

"I"(= A world)の中に存在する4つ以上の"i"たち。
"i"たちが騙しせめぎ合い、我こそはと"I"を占領しようとすらしていたところから、"I"が「私は私だ」と、どの"i"をも受け入れていく。
「透明な体」は"I"の肉体。
というかただのガワ。
そんな流れを感じるサビ。

いろんな側面が共存しているサマを「Marble」とか「描き混ぜる」と表現するのもアーティスティックで安田くんぽい。

「掻き混ぜる」じゃなく「描き混ぜる」な表現、すきだな〜〜〜
あくまで何を書くか作るかは自分次第だし、アートが自由なように、自分の思うがままにという意志が感じられて。

結局自分は自分次第とも取れるし、自分でどうにかしようたってできないからそのまま生きなさいとも取れる。
一見対義のようで、類義なのかもなぁ。
もうめちゃくちゃに安田さんらしい曲。

 

冒頭で、「様々な音によって脳内が表現されている」というようなことを言ったんですが、

サビにくるとそのあたりもだいぶスッキリ、というか割と大人しく、規則的に変わるんですよね。
癖の強い冒頭から、一気にサビらしいサビになる。
主旋に対して、基本的には高低のハモのみ。
バス音も1拍に対して1音。
こんなところからも、"I"が様々な"i"を受け入れて、自分らしくなんてまだよくわからないけどで、そのままで、素直に生きていく様子に感じました。

余談ですが、このサビのハモ
下は主旋の1オクターブ下を歌ってるんですが、上ハモ!!!!高い。
「腐り掠り霞み愛たい」の「"あいた"い」がhiF#。高いファのシャープ!!高すぎる。
(合ってるはずだけれど耳コピなので間違ってたらすみません)
「高い」で有名な(?)King Gnuの白日の最高音と同じです。高い。

 

不確か?確か?
いや、確かなまさかの出逢い
真っ逆さまから上昇 どうしよう
相乗する暴走 同色の抱擁
主に共に息殺し、イキ通し
ぐったりした幹復活した
つっ刺した鬱蒼とした森で
より長く夜をsurvive survive survive
peak a Booより xxxx TABOO
だいぶ良いDeep Dive 今宵Relive
wow 細部を愛撫 されてやや 亞 Naive

2番も基本的にはおなじ推察です。

一見どエロい歌詞 (だから言い方)にある本意。

"i"のやり合いから、"I"が主体的になっていくサビ。

何かを無理やり閉じ込めようとすると、意図せず暴走してしまう何かがあったり。

「peak a boo」以降が具体的にはよくわからないんだよな〜
「xxxx」には何が入るんだろうか。
みなさんどう思いますか!ぜひ教えて!

それから、歌詞カードを見て「亞」に驚き。
まさか文字が充てられてるとは思わなかったし
「ah」ではなく「亞」
気になって漢字の意味を調べたんだけど

うーーーーーん。
意味があるのかないのか。
ありそう。
でもわからない。
安田くん、いい加減おしえて!!!!!!!
すき!!!!だいすき!!!!(呼吸)


そんで2番サビです。

項垂れたカラダ達葬れ闇世に
絡み纏い鳴らす事以外愛いらない
放り捨てた塊たち織り成された轍
ナンバリングしては高みの見物
不透明な最中で

高みの見物をしてるのは"I"なのか"i"なのか、それとも別の何かか。
"I"や不特定の誰かのことなら、「そんなとこで無駄なカテゴライズして高みの見物?愚かだね」というように取れるし
"i"なら、1・2番のA→サビへの変化と同様の感じかな、と。

うーんどっちもあり!!!!!
やすだくん!!!!!教えて!!!!!!(再)

 

快楽罪悪
抱きしめ秘め
Come fly with me?

最後のmeはやすだくんでしょうか。
それとも"i"へ声をかける"I"でしょうか。
どちらもかな?
「良いも悪いもあるけど、僕もそうやって生きてくから一緒に生きてこーや」という安田くんらしいメッセージにも感じました。

 

 

 

そろそろみなさんお気付きかと思いますが、


どうしよう、全然纏まらない。
これって考察?考察って何?
もしここまで読み進めてくださった方がいらしたら本当に申し訳ない。
結局「やすだくん教えて!!」「やすだくん好き!!」としか言ってない。
文字として書かれてませんが、10文字入力するごとに「やすだくん好き!!!!」と叫んでます。

こんなんでも、なんかとてもハイカロリーだったし、途中で何書いてるのかわからなくなったし、そして、あくまで個人的推察です。

決して明るいポップな印象の曲ではないですが、彼の生に対する良い意味での諦めと希望に感じました。
「諦め」というとネガティブだな、
そうではなくて、なんだろうなぁ、全てを受容する寛大さや柔軟さや優しさ、というか。
そしてそれが生への欲にも。
決して強欲ではない普遍的な欲。

MVもたまらなく良くて、触れたいのだけど「やすだくんかっこいい」「やすだくんすき!!!」しか言わなさそうなのでやめておきます。
、、、
、、、、、、
、、、しかしかっこよかったよね、、、、
やっぱり安田くんのダンスが好きすぎる。

普段はベースから何からメイク薄いイメージだけど、あの黒い囲みメイク最高でした、、、、

 

『9』が作られて既に数年、彼の頭の中にはその後、そして今、どんな音が鳴っているんだろうなと気になって仕方ないわけです。

恐らく膨大なストックがあり、オタク心としては余すところなく聴きたい!と思わなくもないのだけど、でも彼が表に出すつもりがないのであれば出さなくていい、むしろ、そんなん無理矢理出さないでね!のキモチ。
なんか日記帳見ちゃう感覚なんだな、私的に。

表に出す機会・楽曲があった時には、いろんなアングルから眺めて、どんなお味でも隅々までたいらげさせていただく所存です。

 

またいつかそんな時が有りますように。

 

 

 

美しき火傷の痕。

あいも変わらず独断と偏見と私感をたっぷりに、足りなすぎる語彙力でお送りします。


一部ネタバレに繋がる部分もありますのでご自衛くださいね。












フィンセントとポールの関係性を、太陽とひまわりに例える場面がある。

フィンセントに「ひまわりのように、いつまでも太陽(=自分)を追いかけるのはやめろ」と言うポール。


フィンセントと離れ、タヒチでの時間を過ごし、結局、追いかけていたのは自分だと気が付く。


追いつけない程ずっとずっと先を行っていたにも関わらず、それに気付いてか気付かずか、永遠に誰も追いつけない場所へ行こうと自死を選ぶフィンセント。


どんなに追いかけても届かないと分かっていながら追いかけることをやめられない、そんな人生はもうごめんだと自死を選ぶポール。




マハさんはゴッホのことを「触れると火傷しそうな画家だ」と表しているが、安田さんが自身と同化させたあのフィンセントもまさにそれだった。



今までとは違う楽日前の感情。

高揚、焦燥、不安、感動、どれでもありどれでもないこの情感こそが火傷を負ったということであり

あのただならぬ感情起伏の激しさや、それを身で分かっていながらもどうにもできないフィンセントの葛藤する様は、対峙してしまえばこちらもどうにも処理し難い感情を抱えることになり、それをわかっていながらも心気の変を逃すまいと思わせ、焼かれるとわかっていながらも、また火傷すると知っていながらも、カーテンコールの最後の最後まで、1秒たりとも逃さぬようしっかりと見つめていたいと思わせる。

焼かれまいと目を逸らしても、その温度や匂い、気の流れの変化で追いかけてくる。


主演だからとかヤスダーだからだとか、そんなことは関係なしに、追わざるを得ない圧倒的な熱量と存在感を舞台上で放っていたことは間違いない。




君は太陽を追いかけるひまわりだ」と、「あのひまわりのタブローはフィンセント自身だ」と、ずっと誰もが思っていたが違かった。




フィンセントを追いかけ続けることをやめられないのはポールだった。

2人の関係性を研究する冴も、最後にはすっかりリボルバーの価値を変えたギローやJPもそれは同じだった。

ストーリー上では、太陽はフィンセントで、それ以外の登場人物がひまわりに見えた。



「触れると火傷しそうだ」と言わせた実在の画家フィンセント・ファン・ゴッホは、マハさんにとっての太陽でもあるのだろうか。それを追うマハさんも、いわばひまわりかもしれない。



そして、ストーリー上に存在したフィンセントも、それをすっかり同化させた安田章大も、観る者に火傷を負わせる太陽であり、ポールやその他の登場人物と同様、追いかけることをやめられない私はひまわりなんだと思う。




実在した人物を演ずるにあたり、安田さんが今までとは異なるアプローチをしたのは明白だった。

細かなことまではわからないけれど、史実を読むだとか、実際にタブローを観に行くだとか、それだけでも違うわけだ。



ポールをはじめとする「リボルバー」の登場人物にとっての太陽である劇中のフィンセント。

マハさんに火傷を負わせる太陽である実在の画家フィンセント・ファン・ゴッホ

リボルバー」の観客にとっての太陽である劇中のフィンセント。(一つ目のフィンセントの立ち位置と限りなく近い

リボルバー」の観客にとっての太陽である舞台俳優安田章大



これを全てやり切ったところ、これが安田さんの「実在の人物を演じる」ということにかけた真の凄みだったのだと思う。




そこに存在する物体・人として『あれは安田章大ではなくゴッホだった』と言わしめるだけではなく、「観客にとってのフィンセント」と「ポールやその他登場人物にとってのフィンセント」を同じところに位置付けきった。

(そう考えると、19世紀を俯瞰するように21世紀の3人を舞台上に居させた演出や、冴をいち日本人として19世紀と絡ませた演出にもくるものがある。)



それは設定としての立ち位置だけの話ではなく、心情的な部分においても言えることであり、更に、劇中のフィンセントとしても、それを演じた安田章大としても、太陽として多くの人に火傷を負わせ、それでも追いかけることをやめられないひまわりにさせきったのだと思う。




実在のフィンセント・ファン・ゴッホと彼の作品は、今後の私にとって特別なものとなった。

安田章大と同化したあの劇中のフィンセントには今後も想いを馳せるだろう。

これからも安田章大という人間からは目を逸らせないなと改めて思わされた。



安田章大というひとりの舞台俳優を通し、わたしはいくつもの素晴らしき太陽と出会い、美しき火傷の痕を沢山残されたのだ。



その痕に触れる度に、何なら、自ら痕に触れて、画家フィンセント・ファン・ゴッホや彼のタブロー、「リボルバー」のフィンセント、それを演じた安田章大を思い出す。

じりじりと痛みや悼みを思い出しながらも、それがまた心地よくて、その痕が何だか懐かしいようにも愛しいようにも思えて、そうして追いかけることをやめられないのだろう。







大阪公演まで、どうかどうか無事終えられますように。




俳優 安田章大と憑依型。

ここ数日で、私の中で舞台「リボルバー」がむくむくと大きくなっている。


時間があれば関連する本を読み漁っている。

史実を知れば知るほどにおもしろい舞台だなぁと思う。


元々美術館にはよく行っていたし、毎月のように何かしら観劇に行くし、マハさんのアートノベルの大ファンでもあった。

「好きと好きがぶつかると気絶しそうになる」ということは間違いなしの舞台であることは大前提だけれど



タイトルなんてわからーんと思いながら、なんだかそれらしいタイトルにはなっているものの


読んでいるのはどこの書店にもあるような一般書だし、どれも一般人の趣味程度なもんで、超個人的意見満載の話。


満載というかそれのみです。






史実を踏まえて安田さんの演じるゴッホを見ると、表情により深みと意味合いが見えてくる。気がする。



原作にも出てこない沢山の史実や文献を読み漁り、作り上げたはず。(村上さんも通信でそんなようなことを仰ってたけど)

でなければあの顔にはなれないだろうし、初日では見えていなかったものも見えてきた気がした。


なぜそこでキレるのか、ここでキレるのと同じなのか。何を遠くに見ながらそう言っているのか。






時間が経てば薄れていくはずの記憶が、また復活してくる。そこにあった史実とパルコ劇場に蘇ったゴッホの表情とが重なって、より深みを増していく。








これまで安田さんの舞台を観劇するたびに、ずっと「やっぱり彼は憑依型だな〜」と思っていた。









憑依型とは。







今回実在の人物を演じられたのもあってか、初回観劇後になんだかとても気になってきた。



カメレオン俳優と同意だとか(個人的にはなんか違うと思っている)、いやいや憑依型なんてないんだわ、だとか色々な見解があった。



その役がすっと降りてきたような、その役の人物にしか見えなくなるような名演技をする役者のことをいうのだろう。




今までは安田さんもその1人だと思ってきたし、「憑依」はあくまで比喩表現だということもわかるし、そういう意味では確かに彼は憑依型俳優なんだと思う。



だけど、どこかなんか違うなと、あのゴッホを見てから思い始めた。



「憑依型」って、どこか天才気質というか、あまり意識せずともその役がのり移ってくるというか。

安田さんエピソードで登場する「急に曲が降りてきた!」のイメージに近い。



安田さんのゴッホを見ると、

自ら取り憑かれにいっている、というか、そういみ意味での「インストール」なのか、



知識や稽古など様々なゴッホを食べて食べて食べて、時には吐き戻しながらも、それでも食べて食べて食い尽くして、自らの血肉とし、内からゴッホになっていく。




史実に基づき、マハさんの想いに基づき、「ゴッホが何を思ったか」が基準で、「もし自分がゴッホだったらどう思うか」とかそんなレベルではない。


あの舞台にいるのがゴッホにしか見えない、少なくとも安田章大には見えないのは、あそこには安田章大としての感情は1ミリもなく、魂レベルでゴッホだからなんだと思う。




こういうことを比喩して、「憑依型俳優」と言うのだろうと思うけど、なんかそんな天才的なことではなくて。




「そこまで、指先に巡る血も精神も、内外全てを注ぎ込むことができる」、その能力は決して天才的なものではなく、彼のそこにかける想いと、それを実際に形にしていける行動力、努力の賜物なんだと思う。

(勿論、彼のアーティスティックなセンスもあると思うが)



「いや、だからそれを憑依型というのでは!」

と言われればそうなんだけど、、、、、、




日本語が難しいーーーーー




役者・安田章大を語るには圧倒的な語彙力の不足。私の言ってることを5割増しくらいに受け取ってほしい、、、、、、、、、




私は安田さん大好き人間なので、どんなに頑張ってもそのフィルターを100%通さずに見ることは難しいだろう。


でも、限りなく0%にして、観劇好き・アート好きとして見てみても、きっと同じように思う。





髭の植毛の話が出た時は、ロバート・デニーロか!と盛大にツッコんだけど。

でもそれも、外観的な要素はあくまで補完でしかないんだろうなぁ。





映画も大好きなので色々観るし、大好きな俳優さんも沢山いるけど、あそこまで精神レベルで

変わっていく俳優さんてなかなかいない。(主観)




期間中、彼はこの現代社会で生きづらくないだろうかと心配になってしまう。



私的初日〜私的楽日までの間はレギュラー番組なんかもみなくなっちゃうもんな。

本業(という言い方が正しいかはおいておく)がアイドルであると知っていても、なんだか違和感というか、「関ジャニ∞安田章大」が「あれ?だれだっけ」みたいな。

(どちらの安田さんも余すとこなくだいすきです!!!!!!)






纏まらないので終わり(無責任!)








備忘録。ザ・ヒューマン 〜揺るがない息吹を〜


 2019年から関ジャニに密着と書いてあった。

今回密着してくださったディレクターの茂原雄二さん。ROTや「なにわから未来へ」を担当されている方でなるほど、と。

 

 

上質なドキュメンタリーだった。



 

数年前にはまさか安田さんがNHKで単独密着されるなんても思ってもいなかったし、更に言えばま写真集が出るとも思ってもいなかったし、もっと言えば5人の関ジャニ∞も病気も怪我もそんなこと1mmも想像したことなんてなかった。

 

 

全てではないにしろ、大病や大怪我が何よりのきっかけだと思うと、やっぱりそんなことは起きないに越したことは無い。

でもそれらがなかったら今も葛藤ばかりで自分を押し込めるだけの偶像アイドルを続けていたかもしれないし、もう表舞台からは退いていたかもしれない。

 

どっちがいいかなんてこと、一ファンからしたらどちらでもない。

 

なんて、私にしては珍しく、考えても仕方ないことを考えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時によって、

発信者によって、

受信者によって、

 

少しだったり思いっきりだったり、

 

あれもこれもそれも

真四角でもまん丸でも正三角形でもなくすべては歪で。

 

それを型に無理矢理詰め込むから壊れるし

一時収まったと思っても、そのうち弾けて飛び散る。

 

形が違うことで指を指され

壊したこと、弾けさせことでまた指を指される。

 

もしかしたら形なんてないかもしれないし、

ぐにゃんぐにゃんと変形しながら降ってくるかもしれないのに。

 

 

自分の形と合わないものは無理してまで合わせる必要はなく、受け取れる範囲で受け取れば良い。

はみ出した部分はそのまま削いだまま。

余裕があれば、その削いだ部分だけを集めて丸めてくっつけて、型に合わせてみても良い。

そのままオーブンで焼いちゃって食べちゃうのもあり。

余裕がなければ完全スルーでも良いし、

たまにはこっそり隠しておいても良い。

快感なほどにぴったりハマる時もあるかもしれない。

 

 

 

ただの形の違いに

どっちが強いだの弱いだの

合ってるだの合ってないだの

なんて意味のない争い。

 

 

自分の形も変わる。

気付いてなくても変わってる。

元に戻ったり、また更に変わったり。

 

 

 

 

 

 

彼が振り返る彼の過去は、過去といっても知れてる程度のはずなのに、すごくすごく昔か、はたまた別人の過去を思い出しているかのように見えた。

特にこの数年における葛藤や感情との対峙をもがいて苦しんで、それを経て、俯瞰しているようにも見えた。

 

 

 

 

 

今だからわかる、繋がる、あの時と今のあれこれ。

 

 

いつも「安田さんは安田さんだ」と思ってきたけど、それは彼の核の部分で、その核を中心とした肉付きの部分は大きく変わった気がする。

 

変わったというより、なんだろう。その周りの部分を覆っていた更に外側の分厚い皮がいい塩梅の厚みになった、という感じ。ただただ全部を薄くすりゃぁ良いってもんじゃない。(そこそんなに覆わなくて大丈夫?!ってハラハラしちゃうこともたまにあるけど)

 

 

繊細で感受性が豊かだからこそ、彼なりの・彼だけの色々な色で見て受け取ってしまうあれこれとの距離の取り方がストンとしっくりくりきたのかな、なんてことを思った。

 

 

周りとの距離感ばかりを気にしがちだけど、自身との距離感も大切だし

距離の置き方を気にしがちだけど、「これは」というものはグッと近付けることも大切だなと。

 

 

目の前のことをとても大切にしていてそれでいてそれに全力。以前からずっと変わらない部分だなと思うけど、その力の出し方や我の出し方、出し加減が変わったのかもしれないなと色々考えたり思ったり。

 

 

 

 

 

 

こうしてうだうだだらだら書いているけど

結局のところ彼のことは彼にしかわからない。

 

かなしいかな、全ては勝手な想像と妄想でしかないし、あまりにも少なすぎるピースをほんのいくつかはめ込んでいるだけで、そのパズルが完成することも永遠にない。と思っている。

 

 

でもそのピースはどれも全力の塊で、誠意の塊で、色や形や位置も何となく見えてくる。

 

 

 

そう考えるとやはり「発してくれるものを素直に大切に受け取りたい」といつもと変わらない答えに行き着いた。

 

 

ある時までは、その真っ直ぐさや真面目さ、憑依的な部分を見て「この人、いつか何かのために誰かのために壊れちゃうんじゃないか」と思っていた。

 

でも今は、誰かを喜ばせる無理をすることはあるかもしれないけど、誰かを悲しませる無理はしないと思えるから、だからもうしかと受け取るのみ。

 

 

 

ご存知の通り、私は時たま(強調)狂気的になるほどに安田さん大好き人間なので、彼の発信するものは基本的には大好きだけれど

素直に大切に受け取ること、安田さん風に言うなれば愛でることは、全てにYESということとは全く違う。、、、と思っている。

 

 

 

「愛でる」とは

 

感動し、味わい、慈しみ、かわいがり、大切にし、感動すること

 

(「愛でる」を初めてググった。分かっている言葉も改めて調べてみるとおもしろい)

 

 

発信されたその物はその時の彼の全てであり一部。

 

 

これからも彼の発するものや言葉を愛で、一緒に滾り、それによって生まれる自身の言葉も気持ちも愛でていく機会がたくさんありますように。

 

 

それ以上に、

 

彼の愛でる全てが、

彼を愛でる全てが、

幸せであれと願ってやみません。

 

 

メンバーやグループ、表向き用に拵えたわけではない曲、聴けて嬉しかった。

 

 

 

 結局は行動に起こせているか

 起こせていないかだけのこと

 やれば何でも良い、

 動くことでエネルギーは届く

 動いたことが広がって

 きっと希望に変わる

 

 

 

 

彼が誰かを思って動くのであれば

その届けられたエネルギーを感じたら

私もなんでもいいから行動に移そう。

 

届いたこと、

心が震えたこと、

愛でたこと、伝えたい。

 

 

 

 

 

 

結局安田さんが好きだと言う話。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

最後まで書き終えて、空欄だったタイトルを無理矢理埋めて、今この冒頭に返ってきた。

書き終えた(というより無理矢理終わらせた)本人が「何の話だっけ?」と思っているくらいなので、読み返したり訂正したりしようとすれば全文書き直しになるのは明白なので、拙文承知の上、何もせずこのままで。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜





あれからずっとかかっていた靄が、ようやくすっきりと晴れた気がした。

いきなり晴れたというよりは、「ゆっくりゆっくりと、ようやく溶け切った」に近い。

でも、私の中にあったのは雪ではなく靄。

その先が見えないけど見える、見えるけど見えない、靄。



私の不器用で語彙力皆無の言葉では、誰かに誤解を与えたり誰かを傷つけてしまうかもしれない。

当たり前だけどそんな気は全くなくて、ただ何か言葉に残したいというか、言葉にできそうもないけど、でもそれでも言葉にしてみるのも良いかもしれない、やらないことをやって見えることもあるかもしれない、という謎の衝動に駆られたので書くことにした。



あ、これは、、、と思われたら、ご自衛くださいm(__)m










あの日も、あの日も、あの日も、、、


私はずっと、


彼の病気のことで泣けなかったし、

彼を形容する言葉が見つからなかったし、

彼にかけるべき言葉がわからなかった。




直後のライブ、

そこに立つと決めたのであれば、泣いてやるもんかと思った。


強い、優しい、愛情深い、

どれも彼を表すのにぴったりなはずなのに、何だか釈然としなかった。


生きててくれてありがとう、無理しないで、

どれも本当にそう思ってるはずかのに、自分の口に出すとなると違和感があった。



彼へ伝えられるこの言葉達を否定する気は微塵もない。これでもかというほど、彼への愛が詰まっていたことを知っている。


ただ、私の臍が通常置から大幅にズレているだけの話。

 







プライベートでも仕事でも


いつも冷静だね、強いね、って何故かよく言われる。


感情に振り回されすぎると、疲れ果てて、どうにもこうにも機能しなくなってしまう自分を知っているから、気づいたらこうなった。


必要以上の期待も失望も、心配も安心も、過大解釈も過少解釈もせずに、そこにあるものをそこにあるままに受け取るのが良い。


ただただ、私にとって一番ラクで効率の良い方法を選んでいたらそういう人間になっただけで


今だに"強い"って何なのかよく分からない。私からすれば、「強いね」は弱さを見せないための先手方でしかないのだから、そりゃあ理解も納得もできるはずがない。





敢えてもう一度言うけれど、

私の臍がどこかににいっているだけのお話。






だから、ずっと「安田さんはいつでも安田さん。」というような、何となくそれらしい言葉をずっと使ってきた。

、、、と思う。



メンバーが病気のことを知ったのは術後だというのを知った時ばかりは、「何事もなく無事で良かった」と思ったけれど、でもこれは彼本人への「無事で良かった、生きてて良かった」とはまた少し違う。



揚げ足を取る反抗期の少年みたいな私の本心を、「やっぱり冷めてるな?」と自分でも思いながら


咄嗟的に出てきた言葉で素直に心情を表しているのを、素敵だなぁ、優しくて温かい愛だなぁ、と思いながら、ちょっと羨ましく思ったりもしていた。









私達に届けてくれる言葉や想いや姿は、決して嘘ではない。と、思っている。

が、時々によってその割合は異なるはず。


それが全ての時もあれば、50%の時も、10%の時もきっとある。


その割合を計ることなどできないのだから、100/100かもしれないし、10/100かもしれないとは思いつつも、あまり余計なことは考えずにあるべきままに受け取りたい。





、、、






話が脱線しまくっている気がするし、こんなんでどう終わるんだと心配にもなってきたし、もうこの際、「安田さんの好きなとこしりとり」でもして狂気にまみれたい、、、











結局、


私が泣けない、形容できない、かける言葉に違和感があったことは、安田さんによって解決された。


前に「これからも心配して」と言われた時と今日で、徐々に。



おかしな話かもしれないけれど、

「おれがつらい。」「おれもつらい。」と言われると安心するし、思わず微笑んでしまう。

まだ人間一桁目のところがあって良かった。

本人が一番辛いのなんてわかっているけど、それを自ら発してくれて安心した。



物理的な、直接的な辛さだけでなく、

『「周りがいくら考えたって心配したって何したって、その時の辛さは当人にしかわからない。やっぱり当人が一番辛いのよ。」という辛さ』も知ってるし分かってるよ、とも読めた。


あぁ、良かった、、、と思った。






私の靄が解決したのは、何で?何が?と言われるとよく分からない。

結局、彼の形容詞は?彼にかける言葉は?と聞かれてもよく分からない。

多分今までと変わらない。



でも、彼の言葉を聞いて靄が消えていった。


「細かいことはわからないけれど、もうそれでいいか、それが全てだから!!!!(ぱ〜っと優しく明るい光がさす絵文字)」な気持ちになった。







そりゃあ我欲をいえば、無理は避けてほしいし、少しでも長く彼らの表舞台を見ていたい。



でも今の彼が無謀な無理をすることはないだろうし、もしあったとしても、それをさせない仲間達がすぐ近くにいるだろう。



ならば、彼が選んだ無理には、「おっしゃ!!やったれ!!!!!」と言いたいし、果てにはこれでもかという大喝采を送りたい。



たまにはお酒に呑まれ、

EIGHTER達の視線や歓声に飲み込まれまくってほしい。

欲する限り。



仕方なく諦めざるを得なかったこともたくさんあるだろう。

でもそれらと無理矢理に決別するわけではなく、今までとは抱き方は違えど、今までた同じ温度で抱きしめながら、


今できることを追い求め、

何かと戦い、

人のためを願う、


そんな彼がどうか

熱く温かく滾るものに囲まれ続けていますように。